静岡県静岡市在住 渡邊(事務局) 『坂の上の雲(司馬遼太郎)の登場人物を検索する』

 ボランティアの皆さんは、今ちょうど日露戦争の時期の紙面の入力の最中です。
 そこで、この時期の日本を生き生きと描いていることで知られる、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」に出てくる登場人物の名で、記事の検索をしてみました。
 実は、先日ボランティアのお一人から、掲示板(入力ボランティア専用)に、同書を読み返しながら記事入力をしている・・との投稿があり、これを見てなるほどと私も、書棚に埃をかぶっていた『坂の上の雲』をもう一度読みなおしたという次第です。
  本の中の戦場の地名や、日露両軍の人の名と、記事とを較べ読みしたのですが、以前読んだときには何げなしに読み流していたものが、凄くリアルに感じられ、興味深いものがありました。
  小説「坂の上の雲」は、幕末動乱期に産まれた愛媛、松山出身(非藩閥)の秋山好古、真之兄弟を主人公に、日露戦争という西欧国家との初めての近代戦争を通して、明治期日本の姿を描く。また、もう一人の主人公とも言える真之の幼馴染「正岡子規」や大学予備門同窓の「夏目漱石」なども登場。

 現在のデータの中には、「秋山真之」「夏目漱石」の名は残念ながら存在しなかったが、以下の通り、多数のそのほかの登場人物の名を検索ヒットできた。

キーワード「秋山 好古」                                                 註:この小説の主人公というべき秋山兄弟の兄。松山出身、日本騎兵の父、日露戦争当時は少将、退役時大将           日露戦争の全局面で、当時世界一と言われたロシアのコサック騎兵に対し、馬格、装備、兵の体格に劣る日本騎兵を率い、壮絶な戦いを展開。結果的に日露戦争の帰趨を決したと言われる黒溝台戦において、圧倒的な露軍の圧力を少数の騎兵で凌ぎきった。                                          弟「秋山真之」は、海軍において東郷大将率いる連合艦隊参謀として、日本海海戦の全ての作戦を立案し、勝利に導いたといわれている。有名な「本日、天気晴朗なれど波高し…」の名文の起草者。

1) 旅順攻守図   明治37年7月3日 朝刊2面3段                                  元来金州方面より旅順の達する街道は30里>、営城子、双台溝等を経て土城子に至り此処にて二道に分れ水師営に会し南方より旅順に入るを順路としまた東北の青泥窪方面より小平島を経て旅順に至る道路は>>たる山間>路に過ぎざれば如何なる地図にも之れを載せず27年戦争には第2軍の捜索騎兵隊(今の陸軍少将秋山好古氏が卒ゆる所)が千辛万苦の結果漸くにして毛家営(金州を距る2里半餘)の西南方石井村より南方間道に入り旅順の東北背面鶏冠山の後麓に達する>路を発見し旅順総攻撃の際は益満中佐の第14聯隊が此道より進みて奇功を奏したり鶏冠山砲台は旅順の東北端にして高さ126米>、西北2龍山、松樹山の砲台に連り東南北斗山、>嘴砲台に接し首尾相援け常山の蛇勢をなし頗る要害をなせり我軍若し此の鶏冠山の一角を占領し旅順東北背面一帯の高地に選りたるとせば旅順は正しく風前の燈なり (>記>中>>>砲台とあるは>葎嘴の誤りなり

2)昇任と転補   明治30年10月13日 朝刊 2面1段                                一昨日陸軍武官に昇任ありし事及び聯隊長其他の転補ありし事は前号に略報せしが左官の昇任は左の如し 歩兵中佐より歩兵大佐に昇任の人人 中岡黙 渡邊章 中佐川一正 東條英敦 森田清一 今橋知勝 木村有恒 木村新九郎 一戸兵衛 齊藤太郎 神尾光臣 山口圭蔵 岡部政蔵 谷田文衛 大谷喜久蔵 仙波太郎 長岡外史 安田宗直 渡邊勝重 田部正壯 丸井政亞 岡見正美 酒井元太郎 田村怡興造 騎兵中佐より騎兵大佐に昇任の人人 渋谷在明 秋山好古 駒澤保完 木村重 砲兵中佐より砲兵大佐に昇任の人人 隈部潜 伊地知幸介 出石猷彦 村木雅美 内山小二郎 大迫尚道 楠瀬幸彦 豊嶋陽蔵 牟田敬九郎 村田淳 井口省吾 税所篤文 野間> 藤井茂太 中田時懋 押上森蔵 工兵中佐より工兵大佐に昇任の人人 上原勇作 吉見精 川村益蔵 渡邊昌邦 歩兵少佐より歩兵中佐に昇任の人人 松居吉続 小原芳次郎 摺澤静夫 騎兵少佐より騎兵中佐に昇任の人人 河野春庵 梅崎信文 砲兵少佐平原氏某氏は砲兵中佐に工兵少佐佐川耕作氏は工兵中佐に昇任されたり尚右の外大尉より少佐に昇任せるもの各兵数とも数十名あり之と同時に聯隊長其他の転補を行ひ左の如く任命せられたり 近衛第一聯隊長 歩兵大佐平山良蔵 参謀本部第二部長 同田村怡興造第43聯隊長 同渡邊章 第35聯隊長 同木村新九郎 第4聯隊長 同一戸兵衛 近衛第3聯隊長 同神尾光臣 戸山学校長 同山口圭蔵 近衛師団参謀長 同大谷喜久蔵 第3師団参謀長 同仙波太郎 第38聯隊長 同安田宗直 熊本聯隊区司令官 歩兵中佐遠山規方 第10聯隊長 同小泉正保 第20聯隊長 同師岡教宜 中部都督参謀 同山本信行 東部都督部参謀 同南部辰丙 第13聯隊長 同松居吉統 第18聯隊長 同摺澤静夫

キーワード「黒鳩」(クロパトキン大将)  註クロパトキンは、ロシア軍の総帥。当時日本では「黒鳩」と表記

1. 黒鳩大窮迫 (スコア: 114)

黒鳩大窮迫 ■一般記事 静岡民友新聞 明治37年(1904年) 7月19日発行 朝刊 2面-1段 戦地より帰来せる某将校の談を聞くに我軍は遼陽を距る僅かに数里の地点まで前進し殆んど三面囲包の形勢を為し黒鳩舎の退路は全く

2. 黒鳩も籠の禽 (スコア: 112)

黒鳩も籠の禽 ■一般記事 静岡民友新聞 明治37年(1904年) 7月 9日発行 朝刊 2面-4段 最近情報に依れば過日来大石橋析木城に南下集中し居たる敵軍は去4日来俄に南下行動を停止し海域に在りし3000余の傷病兵を汽車に

3. 黒鳩の配兵 (スコア: 112)

黒鳩の配兵 ■一般記事 静岡民友新聞 明治37年(1904年) 7月 9日発行 朝刊 2面-5段 クロパトキン大将はは日本軍の為に退路を絶れんことを恐れ去る3日ロローサンプテンと鞍山站とに各各歩兵一連隊大砲8門を派遣せり

キーワード「児玉 源太郎」

1. 総司令官出発 (スコア: 6)

総司令官出発 ■一般記事 静岡民友新聞 明治37年(1904年) 7月 1日発行 朝刊 1面-3段 満州軍総司令官元帥陸軍大将大山巌、同参謀長陸軍大将児玉源太郎、同幕僚陸軍少将福島安正氏以下の諸将校は愈愈本月6日午前11時

2. 総司令官と静岡 (スコア: 6)

総司令官と静岡 ■一般記事 静岡民友新聞 明治37年(1904年) 7月 6日発行 朝刊 2面-4段 満州軍総司令官元帥陸軍大将大山巌、同総参謀長陸軍大将児玉源太郎、同幕僚陸軍少将福島安正氏以下の諸将校は既記の如く今6日

キーワード「正岡子規」

1. 俳句 (スコア: 80)

俳句 ■短歌、俳句 正岡子規 瓢雨 静岡民友新聞 明治30年(1897年) 8月27日発行 朝刊 1面-5段 此の月4日。正岡子規を根岸の草庵に訪ひ、手を握りて快談数刻、晩鴉上野の森に帰る頃。子規子打水の題を科して。をのを